映画の主な内容については近日中にエネシフトの(優秀な)メンバーがご報告するので、ここでは河合監督のお話から感じたことを記す。
海渡さんから聞いていた以上に、河合さんは正直な人だった、というのが私の感想だ。正直ではあるが清廉潔白ではなくて、子どもっぽく多分自分勝手。まわりの人間は彼に散々振り回されるが、憎めない。沢田研二の歌で言えば「憎みきれないろくでなし」かな。海渡さんとは全然違う個性の持ち主。だけど海渡さんも河合さんに魅かれている部分があるはず。私など一言二言話しただけだが、もっとこの人と親しくなってみたい、という欲求が生じたことは否めない。まあ、なかなかいない人間であることは確かかな。賛否両論あるでしょう。それこそが彼の魅力の証明だ。
さて、上映後の講演の中で、彼はこう言った。
「世界は温暖化していて、その原因は二酸化炭素ということになっているのです。この流れはもう止められません。この流れに乗って自然エネルギーを広げ、原発をなくしていきましょう。」
誓って言うが、「世界は温暖化している、その原因は二酸化炭素である」とは言っていない。正直な彼は嘘がつけなかったのだ。彼にとって法廷は金を稼ぐ場だが、大磯図書館は違うから、嘘はつきにくかったのだろう。
その時私の頭に飛来したのは今流行のポスト・トゥルースという言葉だった。温暖化二酸化炭素主因説の真偽はここではおくことにするが、河合さんはたとえ温暖化説に疑いがあっても今勢いのあるその言説に乗りましょう、と言っているように見えた。
要するに、ここでその真偽について話しても結論は出ないので、脱原発という自分達の目標について利用できるものであれば利用しましょう、ということ。
もっと言えば、そこは今、議論しないでください、ということだ。
これは憲法改正に関する護憲派の言いように、ちょっと似ていて気持ちが悪かった。
参院参考人招致で有名になった長谷部恭男先生から、憲法カフェで名を上げたO女性弁護士まで、ピンからキリまでの護憲論者は言う。「いくら良い改憲案をあなたが主張したって、それが採用されると思いますか?そんなわけはない。政権に取り込まれるだけですよ。だから黙っていてください(長谷部先生は朝日カルチャー藤沢で、O弁護士は大磯の憲法カフェで、言葉通りではないがそういう内容のお話をされました)。」
つまり護憲のために、まともに憲法改正の議論はしないで下さい、ということ。ただ守れと叫んで下さいという意味。こういう話は色々なところで、たいてい「先生」と呼ばれる人種が口にする。私はそういう言葉を聞くたびに、この人たちはよくそういうことが言えるもんだ、と驚き、人を馬鹿にするにもほどがある、と呆れる。これでは市中の憲法議論が盛んになるわけはない。こういう人たちにリードされて、面白い議論ができるわけがない。憲法論議を盛んにしたいのなら、頭の良い者は、あなたならどんな憲法を作りますか、と問うのではないか。そういうリーダーが左翼にはいない(右翼にもいないけど)。だから自民党草案が概ね実現してしまう可能性は否定できない。そうなったらそれはこういうことを言ってまわっている護憲派の責任に違いない。
国民を馬鹿にする者に、民主国家のリーダーたる資格はないでしょう。
憲法を考える上で一番大事なことは間違いなく、立憲意志の形成だ。自分がこの国を作っているんだという気概。それがあってはじめてこういう国を作るんだという強い意志が生まれる。その意志に副って憲法を制定する。特に日本人は、血と汗と涙を流して民主主義国家を創造したことがない。だから、憲法は誰か自分ではない他の人が作るものだと思っている。社会学者の橋爪大三郎さんが、殆ど文言は変えなくてもいいからほんの一部、ひとつの単語だけでも変えてみることを提案されていた。勿論その時に御名御璽はやめて、「我ら日本国民」の名で憲法を改正する。そのことで随分と憲法が日本人のものになると説明されていたが一理あると思う。(野尻記)
4月6日。福岡高裁宮崎支部は、川内原発1,2号機の運転差し止めに関する住民団体の抗告を却下した。大飯、高浜と、地裁レベルでは一時的にせよ運転差し止めという画期的な判決が下ったが、高裁となれば話が違うことは素人の私でも想像はできた。
原発訴訟は今後も各地で進む。一進一退を繰り返す長期戦となることは間違いないから、住民団体や脱原発弁護団全国連絡会の皆さんへの支援を忘れてはいけないと思う。この訴訟は大きく言えば、主権者たる我々と権力を握る悪霊共の戦いであるわけだから絶対に負けられない。私たちのような市民発電グループも全力を挙げてこの裁判を応援する必要があると私個人は思う。今回の判決がすべてと考えてがっかりしている場合ではない。国民の過半数はスパンの長短はあれど脱原発を望んでいることは間違いないのだから、最終的には勝つことは間違いない。それが民主主義社会というものだ。
ただ今回の件でがっかりしたのは、やはり司法権の独立は保たれていないのではないかという疑いが濃厚になってきたことだ。裁判長の西川知一郎氏は昨2015年の9月に福岡高裁に赴任した。鹿児島地裁が住民側の川内原発運転差し止めの訴えを退け、住民側が即時抗告したのは同じく2015年の4月だから、西川氏はまさにこの抗告審を司る為に最高裁人事によって派遣された、原発再稼動の為の使者だったわけだ。ちなみに彼は最高裁調査官なども歴任したエリートだそうだ。
事情通によれば、今回の裁判は普通どう考えても原告側が勝訴するような流れできていたとのこと。『もし負けたら、そりゃあ何かあるとしか思えない』そうだ。こうなると、始めから結論は決まっていたことが疑われる。あの歴史的芸術的判決を下した元福井地裁判事樋口英明氏の家裁への異動も報復人事であった可能性がある。信じたくはないが、最高裁さえもムラの犬なのか。かつて最高裁にアメリカの犬がいることが明るみに出たことがあるが(砂川訴訟)、今の世でもそういう体質は変わっていないのか。
いったい司法権の独立はどこへいったのか。草葉の陰で児島惟謙が泣いているぞ。
とにかく、今後の原発訴訟に注目したい。事故や放射性廃棄物がどうのというレベルの問題ではない。日本という社会そのものが腐っているかどうかの問題なのだから。(野尻記)
太陽光パネルに関して、先日メーカーのカナディアンソーラーの方に伺った内容も含めていくつかのことを記します。
まず、私たちエネシフトの2つの設備はそれぞれ「15kW」なんですが、これってどういう数字なんでしょう。こういうことがまとめて書いてある公式な資料というのは探すのがけっこうたいへんです。ただ、パネルを売っている業者のホームページなんかには載っていました。その辺を参考に(勇気を出して)まとめてみます。
町内のマンション屋上に設置している第一号発電所のパネルを例にとって計算。
1枚250Wのパネルが60枚ですので、250W×60=15000Wの設備なのでこれを「15kWの設備」と呼んでいるわけです(Kは1000ですよね)。この15kWは一定の条件の下で1時間稼動した時にそれだけの電力を生み出す、という意味で、これに実際に稼動した時間数をかけると生産した電力量が算出されます。
神奈川県の年間日照時間はだいたい2000時間強です。単純に考えて15kWの設備は年間3万kWhの電力量を生産するというわけです。
第一号発電所は東京電力に1KWhあたり36円で売電していますので、36円×3万=108万円が年間の売り上げと計算されます。ただ様々な条件がマイナスに働き、その60~70%というところが実数です。日照時間2000時間と言っても、パネルに理想的な角度で日光があたる時間は限られていますし、表面温度が高ければその分効率は下がるようです。メーカーの方の話では気温が1℃上がると0.43%落ちるそうで、低ければ低いほど発電効率は良いとのこと。また、同じ日照時間でも、モヤッとしている時は駄目なことは想像に難くないのですが、太陽電池(太陽光パネル)は太陽の熱を利用しているのではなく、光の量が重要になるようです。曇りでも光量が少なければ駄目ですが、雨でも明るければまあOK,ということもあるというわけです。
そういった複雑系の中で発電量は決まるので、沖縄と北海道でそれほど差がなかったり、日本で一番太陽光発電に向いているのが長野県だったりするそうで、ちょっと意外でした。
屋根の上にパネルを載せることの効用のひとつに遮熱効果というのがあって、日光が直接家屋に当たるのを防ぐので、一般住宅では約10℃も室温が下がるという話でしたが、ちょっと割り引いて考えて、何度かは下がる、と考えることはできるでしょう。
いくつか、心配な点も伺ってみました。
太陽光パネルの普及に対する懸念のひとつとして、20年後に大量のパネルが廃棄物となって日本中にあふれる、というのがあります。
この話には大きな誤解があって、20年というのは東電が今の買い取り価格で買い取ってくれる期間であって、それ以降いきなりパネルが使用できなくなるわけではないのです。
確かに経年とともに効率は落ちることは間違いないのですが、それは数パーセントのことであって、使用できないなどというのとは程遠いとのことでした。
実際に国内のメーカーの例では、シャープで30~40年、京セラでも30年、全く問題なく使用できている例があるそうで、20年後にすべてゴミになる、というのはあまり現実的でない想定のようです。ただ、我々発電業者としては当然、廃棄に関する準備はしておくべきであり、環境省もそれは言っていて、勿論エネシフトでもそれなりの積み立ては行っています。
またパネルは鉛不使用だそうで、その面での心配もないとのことでした。ただ他の金属等について完全に無害なものなのかどうかわかりません。その辺は少しずつ勉強していく必要があると私は思います。
塩害は?という質問が高校生から出ましたが、パネル自身については問題はないと思っているという回答ではありましたが、同時に海岸から200m以内の家には勧めていないという話もあったので、全然影響がないというわけではないのかもしれません。ただ、フレーム等にアルミを使っていることで塩害による腐食は防げるとのこと。
どうしようも無い被害として、かなり稀な例として20歳以下の若い人だけに聞こえるモスキート音というのがあって、その場合は今のところ対応策は無い、ということでした。
それとパネルの強度については、表側はかなり強いのだそうですが、裏は弱いので草をよく刈ってください、と言われてしまいました。
いずれにせよ、太陽光発電は既に日本に無くてはならないシステムとなっていることは
「お知らせ」欄に書いた、今年の真夏のピーク時の電力供給の約10%(九州では24%!)を太陽光で行っていたという事実が物語っています。いくつかの問題点はあると思いますが、それを差し引いても原発に因る被害とは比べものにならないくらいのものであることは明々白々。太陽光発電をこれ以上増やすことがいいのか悪いのか、という議論はありますが、自然エネルギーによる電力供給をもっともっと進めていけば原発は勿論0でいいし、化石燃料による発電も相当程度に減らせると思います。
どの政権とは言いませんが、日本が歩むべき当たり前の道を選ぶことのできない政府には早くお引取りくださることを心から願って、この項を終えます。
長くなってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました。
エネシフト理事 野尻 2015.9.4
《《大磯在住の山羊さんと社会学を志す大学生の皆さんが発電所の見学に来てくれました!》》
5月9日はエネシフトにとって良き日となりました。
法政大学社会学部舩橋ゼミから10名、関東学院大学社会学部湯浅ゼミから2名、計12名の大学生の皆さんがエネシフトの2つの発電設備を見学に来てくれたのです。神奈川の方をはじめ、東京、千葉、埼玉からと遠路足を運んで下さり、見学は勿論、エネシフトに対し鋭い質問を連発、今後のあり 方についての提案までしてくれ、そして何ひとつ残さず、お弁当を平らげていってくれました。
引率して下さった関東学院大学湯浅教授が私たちの仲間である故舩橋晴俊さんの教え子であったのが縁ですが、法政の皆さんは舩橋さん に教わっていた期間もあったそうです。
自然エネルギーや原発への関心だけでなく、尊敬してやまなかった舩橋さんと場所や互いの関係性こそ違え濃い時間を共有したとい う経緯もあって、皆さんと私たちの間は急速に近づいた ように感じました。
また、この日の雰囲気を和ますのに大きな役割を果たしてくれたのが、大磯在住の2頭の山羊さんたちでした。コロンとクッキーの 姉妹はまだ2歳半なんですがもう成体だそうです。彼女達は実は見学ではなく、仕事に来てくれたのです。バラ科は大好きだそうでトゲが あったって大丈夫、。元気にたくさん草を食べてくれました。一号発電所のヴィラと違って2号のみんなの発電所は教会の敷地内をお借り しており、土の上に設置されています。当然、背丈の高い草が太陽光を遮るという心配もあり、これからの季節、草刈はかかせません。エ ネシフトは発電事業体でもありますが本質は環境問題に関する市民団体ですから、除草剤は使用しません(除草剤を使用したら山羊 さんに手伝ってもらうことはできなくなります)。夏を目前にして平均年齢の高いエネシフトとしては若い山羊さんに期待するところ大、 というわけです。コロンさん、クッキーさん、ありがとう。そしてこれからもよろしくね。
ちなみに、この山羊さんたちは除草剤を使わない農地や庭への救援隊となってくれるそうなので、ご希望の方はエネシフトまでご連 絡くださればご紹介します!
さて、見学会の様子をご紹介しましょう。
当日は、みんなの発電所見学⇒教会内で質疑応答・交流会⇒食事⇒一号発電所へ徒歩にて移動⇒発電所のあるマンション屋上で質疑 ⇒大磯駅でお別れという流れでした。
学生さん側からは数日前に質問を提示してもらいました。社会学を勉強している皆さんらしく、よくこんな細かい点に気が付くなあ、と感心することしきり。岡部理事長もしっかりと回答案を各理事に示し、まとめて回答するという周到ぶりでした。
以下、質疑応答の要点をまとめてみます。
1.反原発を唱えるということと発電事業を行うことの間に感覚の差はあったか。
⇒資金調達、税務関連がたいへんであった(今も)。
2.地域の方々に変化はあったか。
⇒市民発電所を建設し、眼に見えるところにおいたことによって、メディアや行政が反応、地域の方も関心を寄せてくれた。
3.事業を進めるにあたって困難だった点は?
⇒金融機関等外部との交渉だけでなく、内部の意見集約にかなりの時間を費やし た。
4.金融機関との交渉は?
⇒当初、エネシフトメンバーの個人的人脈を頼った。その後固定価格買い取り制度に
ついて説明、安定性の高い事業であることを理 解してもらった。
5.教会の方々とは?
⇒教会を舞台に別団体が行っている「福島の子どもたちの保養事業」への協力(寄付)が
主な目的であることをお話し、理解を得 た。
6.今後の展望は?
⇒町に新設された環境課エネルギー係との協同。買い取り価格の高いバイオマスの
研究。
7.若年層との関わりは?
⇒良い案があったら教えてください。
⇒(学生さん側から)自由な楽しい雰囲気のイベントの中で、自然に再生可能エネルギー
に接する機会を作れるとよい。また、学校 へアプロ ーチするという方法もあるのでは。
8.国の補助に依存しない経営は?
⇒今後の課題。国の補助は続けてしかるべきではないか。
9.エネシフトをモデルとするような他団体との連携は?
⇒今後の課題。
10.舩橋先生の言葉で印象に残ったものは?(この質問にはエネシフト側から最も多くの回答がなされました)
⇒「学習会がすべて」「公論形成」「世の中のあり方は科学者が決めるのではなく、市民が
決めたあり方を実現する為の技術を提供 するのが科学者の仕事」
恥ずかしながら私自身が経済学科の学生であった時には決してできなかったであろう質問ばかりです。
ただ、その他の時間、例えばお弁当の時間、教会から一号 発電所への移動の時間、一号発電所のあるマンション屋上での時間、そして最後に大磯駅までお送りする時間の中で、あちこちで会話の花 が咲いていました。勿論その全部を私が知り得るはずもありませんが、その花のひとつひとつが実を結び種になり、数年後数十年後、たくさんの場所で芽を出すことで日本は変われる。そんな確信を持ってこの日を終えたのでした(文責:野尻)。
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全国ご当地エネルギー協会リレーエッセイ16
海と山、自然に恵まれた神奈川県の小さなまち大磯でも、東日本大震災直後から自然エネルギー社会への転換を願う有志が活動を始めました。節電教室、 勉強会や上映会、町へPPS(新電力)への転換を求める陳情(採択、約400万円の経費削減)などの取り組みを続けてきました。
そして私たちは、地域の自然エネルギー普及啓発を進めるために2013年12月、一般社団法人大磯エネシフトを設立。翌年4月には屋根を無償で貸してくれたマンションオーナーのご厚意のもと、第一号として15㌗の太陽光発電所を始めることができました。
大磯エネシフト設立まで、そして設立後は理事の一人として、理論・実践の両面で支えてくれたのが大磯在住の環境社会学者・舩橋晴俊さんでした。地元大磯の郷土を愛し自然や景観を守る住民運動にも積極的で、理想を語るだけでなく自ら行動する姿を誰もが敬愛していました。
2014年夏、精神的支柱を失った私たちは遺志を継ぐ多くの方々とともに力を尽くそうと想いを新たに刻みました。それから半年後、2015年1月 25日、多くの方のご理解ご協力を得て、第二号事業の「みんなの発電所」をカトリック大磯教会に開設することができました。おひさまから生まれた電気を福 島の子どもたちの支援につなげるとともに、福島の事故を忘れず自然エネルギーへの転換を目ざすシンボルにしたい。そうした想いのもと、3年越しの協議を重 ねてきた「みんなの発電所」の誕生です。
点灯式には賛助会員、寄付で応援してくださった方々など、多くの皆さんが参加。エネルギー条例を制定したばかりの町議会と町長はじめとする町の関係 者、設計・施工を請け負ってくれた町内の事業者、そして場所を提供してくださった教会の関係者など、想いを同じくするたくさんの方々が共に祝ってくれまし た。
大磯町では今年4月から再生エネ利用推進「環境課」新設も決まりました。私たちの取り組みはまだとても小さなものですが、行政との協働を進めている各地の先例に学び、3万人のまちからエネルギーシフトを目指してこれからも走り続けます。
3・11福島が、持続可能な社会への転換点だったと歴史に刻まれることを信じて。